ゲームを色んな視点から・終
ーそこにある自然
ゲームを嫌われないように。とゲームが占有していたテレビと共に歩こうと決めたWiiU。
結果として、振るわなかった据え置き機であったことは認めなければならないんですが、コンセプトは方向性は間違ってなかった。
ゲームというモノがより居間でリビングで存在できるきっかけを作ってくれたわけですし、現行のswitchは持ち運べる据え置き機として世に出ましたし、WiiUの意思は引き継がれているものだと信じてます。
(まぁ個人的にWiiUは好きなハードだったので)
前に触れるを忘れていましたが、任天堂はゲーム人口増加を目標にしていた時から方針は変わっていなく、Wiiでは家族で遊べるタイトルが多く、コントローラーもより身近なリモコンという言葉使っていました。
その結果、個人として大きく変わったのがリビングに据え置き機えを置くようになったのです。
もちろん、一番はSwitchの利便性。移動が楽ってのもあるんですけども
更にはニンテンドークラシックミニのシリーズ。
これもスッと置くことができるし、懐かしいタイトルばかりで尚且つ、2人でプレイもできる。
そうなると、ゲーム一緒にする機会も増えていくんですよね。すると、そこにあるのが自然になる。
と、ここまでが我が家のストーリーになるのですが
長々と語ってきましたが、なんつーか答え出して行くすれば堂々としていることなのかな。
ゲームは画面とにらめっこしながらするものですし、1.2 switchというタイトルはありますが、今後もそれは大きく変わることはないでしょう。
そのにらめっこを、ひとりでしない。
ゲームが好きだと思うのなら、周りにも面白さを伝えて見ることが必要じゃないかな。
そうすることで距離も近くなってゲームが嫌な存在で無くなるんじゃないでしょうか。
おしまい